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 2004年2月1日、横浜の地下鉄みなとみらい線が開通。東横線との相互乗り入れにより、もともと年間1800万人が訪れる国内有数の観光地だった横浜中華街が、渋谷から37分で行けるように。地下鉄側は、元町中華街駅の乗降客を、一日3万人と見込んでいたそうですが、初日だけで予想の4倍以上の13万人が訪れ、駅は大混乱。市の勧告により、入り口と出口を分け、警備員を大量に雇うなど、タイヘンなことになっています。

小平一雅  その人出はウィークデーも衰えず、この分でいけば、年間2500万人のディズニーリゾートを集客数で越えることは確実(中華街には入場制限もありませんし)。
 今回は、早くも2004年最大のヒット商品の呼び声高い横浜中華街を、他誌とはひと味違った切り口でご紹介いたしましょう。
ずか500メートル四方のエリアに約4000人の中国人と、500店舗(うち飲食店が230)が集中する横浜中華街は、人口こそバンクーバーの中華街に負けるものの、料理店の多さと密集度では、中国本国以外で世界最大の中華街。しかも、欧米の中華街は来訪者の9割が中国人なのに対し、横浜の中華街は来訪者の9割が日本人―これほど地元に愛されている中華街は、世界中どこにもありません。

浜に中華街が作られたのは今から145年前。幕末の1858年(安政5年)、日米修好条約が締結されて、横浜に港と外国人居留地が造られると(ちょうど今NHKの大河ドラマ『新選組!』がそのあたりの話をやってますね)、アメリカ人やイギリス人は漢字を使って日本人と筆談ができる中国人を重宝がり、通訳として大勢連れて横浜に上陸。おかげで、9年後の1868年(明治元年)には、既に1000人の中国人が居留地内に住み、中華会館や関帝廟などを建設し、中華街を形成していたといいます。

1 895年から数年間は、中国革命の父・孫文が清国政府の刺客を逃れて、この街に潜伏したことも。1899年、外国人居留地が撤廃された際には、日本政府は中国の安い労働力の大量流入を畏れて、横浜で働ける中国人は、理髪・洋裁・料理など刃物を使う専門職(いわゆる「三把刀-サンパタオ-」)の技術者のみ、という制限を設けます。それが、この地域に料理店が集中した最大の理由です(ちなみに、第二次大戦前には、街の中に理髪店や洋裁店もいっぱいあったそうです)。

1 970年代後半の時点で、日本国内に住む中国人は約5万人。うち半数が台湾系。残りの多くは広東系。中華街の中でもその出身地構成は同様で、料理店は8割までは台湾・広東系(台湾には広東から渡ったヒトが多いので、料理的にはどちらも同じ広東系です)。そしてこの5万人が、いわゆるオールドカマーと呼ばれる世代。今も中華街の中心に店を構える多くの店は、オールドカマーの子孫の4世、5世によって経営されており、横浜中華街は今もオールドカマーの街と言えます。

方、中国が開放政策をとり始めた1979年以降、日本には、公式に記録されているだけで35万人の中国人が入国しているそうですが、これがいわゆるニューカマー―35万人の中には、北京から来たハイテク系技術者や留学生なども含まれますが、大半は南からの出稼ぎ労働者。ニューカマーの多くは、東京の新宿や池袋周辺に住みついていますが、横浜にも流れ込んでいます。
 神奈川県の統計によれば、2001年現在、県内には約2万1000人の中国人が住んでおり、その出身地の内訳を多い順に並べると、
1.福建…4674人
2.上海…4442人
3.遼寧…3827人
4.台湾…3779人
5.吉林…2723人
 南からのニューカマーが明らかに増えているのがわかります。

華街がいくらオールドカマーの街とはいえ、人数的に日本全国でオールドカマーの10倍に膨れたニューカマーの流入は防ぎようもなく、オールドカマーが店をたたんでニューカマーに店舗を貸すケースも激増。それにともなって中華街には上海系の料理店が増え、逆に広東系料理店が減少(たとえば、今中華街で一番長い行列ができている人気の上海料理店『梅蘭』などニューカマーの代表の店と言えます)。中華街周辺に二つある中国人学校でも今や言葉は北京語しか教えておらず、中華街で広東語はあまり聴かれなくなったと言います。

ールドカマーの4世・5世は、家が経済的に恵まれているので、あまりガツガツ働かないそうですが(言ってみれば、お坊っちゃま、お嬢さまですね)、ニューカマーは経済基盤がない分、必死で働き、起業家としてもさまざまな試みをしています。未だにオールドカマーががっちり押さえている中心の中華大通りでこそ見かけないものの、周辺の路地には、昔はなかった足つぼマッサージや整体院、占い、台湾の功夫茶の専門店といった、新しい業種の店が目立って増えてきています。
 また、中華街の入り口にできた24時間営業のンターネットカフェ『永光』(上地図参照)では、休憩時間中にIP電話を使って故郷の家族と喋っている中国人料理人の姿がよく見かけられますが、これも新時代の中華街の象徴的光景と申せましょう。

華街には、出身県別の県人会や通り別の商店会など24もの団体があって、昔はバラバラに活動していたそうですが、公衆トイレ(洗手亭)の建て替えをキッカケに、24団体が手をとって、街づくりのための連合協議会を組織。90年代以降は、この協議会にニューカマーも参加し、中華街全体が団結して、街の周りに8つある門(牌楼-パイロウ-)を建て替えたり、旧正月の春節(太陰暦の正月なので、2004年の1月22日でしたが、05年は2月9日、06年は1月29日、07年は2月18日、というふうに毎年すごい勢いでズレます)や、商業の神様、関羽の誕生日の関帝誕(こちらも毎年大幅にズレてゆき、2004年は8月9日)を盛大に祝ったり、あるいは地下鉄みなとみらい線の駅に「中華街」という名前をつけさせたり、さまざま点で画期的な成果を挙げています。

女(マダム)も、ただ食事をするだけではなく、変わりつつある中華街で、お祭り、占い、マッサージ、お茶など、総合的に中国文化を楽しまれてはいかがでしょう。

1992年末から11年かけて掘りに掘った、みなとみらい線の『元町・中華街』駅。土日は混乱を避けるために、入り口と出口を分けて一方通行に。駅は意外に元町に近い側にあるので、手前の日本大通り駅で降りて歩いた方が、空いていて便利かも。

関帝廟通りの突き当たりにひときわ高くそびえる『横浜大世界』(TEL:045-681-5588 中区山下町97)は1920年代の上海の街を再現したミニ・テーマパーク。入り口で「旅券」と言われる入場券(¥500)を購入し、エレベーターで一気に8Fまで上り、階段で5Fまで下る間に、生の京劇や、胡弓の演奏、中国茶のセレモニー、中国伝統の切り絵の実演(上図)など、中国文化に触れられるしくみ。2〜4Fは屋台式の飲食店街、1Fはお土産店。中国文化に触れる恰好の入り口と言えます。オープンは2003年11月です。

関帝廟通りに面した『山下町公園』は、『會芳楼(かいほうろう)』と言う清国領事館があった場所に1960年に作られた公園。2000年にリニューアルされ、『會芳帝』というあずまやが建てられ、より中華街っぽくなりました。

南京気功 大推拿』(TEL:045-383-8689 中区山下町166)は、元、中国オリンピック選手団の主治医師の直医師が指揮をとる中国式マッサージ処。足裏の他、木・日・祝は気功による全身マッサージも。足裏の料金は、一番短い15分で¥1000。2003年の7月にオープン。

占やかた鳳凰』(TEL:090-1704-1216)は96年の登場以来店舗を増やし、現在中華街に5ヶ所。手相のほか、算命術、風水も。喋れないと仕事にならないので占い師は全て日本人ですが、雰囲気は中国風。料金は7〜8分の手相鑑定で¥1000。

茗香閣』(TEL:045-201-4188中区山下町220)は、地久門近くの台湾式功夫茶カフェ。中華街内にはこのほか『悟空茶館』、『三希堂』と3つの工夫茶専門カフェがあり、どこもそれなりにいい感じ。ノンビリした午後を過ごすにはうってつけです。

更新日2004年3月7日
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